MIKAN

気まぐれに書く日記のようなもの

年度末

3月になり、梅の花や花粉症の母の鼻が赤く色づいてきました。

もう3月ですって。はやいはやい。

前回書いた件は世間に認められにくい話に理解のある中学生のときからの友達に聞いてもらったことで落ち着きました。

話を聞いてから顔を見ると辛くなってしまったという大学の友達も、先日会ったときに普段通りに話せたし、心境も話を聞く以前と同じようになっていたので大丈夫です。

ただこの世間に認められにくいであろう話については私自身も数年認めたくないという気持ちもあり目をそらしてきたこともあるので、これを機に久しぶりにこの話と向き合っていこうと思います。

たとえ、その話を考えたうえで認めたとしても諦めるしか選択肢はないんですけどね。特に父親がそういったものを軽蔑しているのはわかっているので…。

(この世間に認められにくい話が一体何の話なのかはご想像にお任せします)

 

さてさて!話も変えていきましょう!!

2月末からバイトを始めたんですよ。

というのも、もともと去年の1月からバイトはしていたのですが、6月に右膝の前十字靭帯断裂と半月板断裂のWコンボを決めてしまい、松葉杖が手放せない生活になってしまったためにバイトをやめて手術をしたんです。

10月には松葉杖が外れたのですが、8~9月まで歩行が禁止されていたことやほとんど室内で過ごしたために体力がほぼほぼなくなったことと、ジャンプや走ることは1月まで禁止されていたので日常生活を送れることに集中するために(と言い訳をして)バイトはしていなかったんです。

でも収入源がなくなったために、絶対に手を付けないと決めていたにおばあちゃんからもらった大学の入学金に手を付けないといけないかもしれないラインまで行ってしまったので慌てて始めました。

前のバイト先は時給が950円だったのですが、今のバイト先は時給が1000円を超えててやばい(語彙力)

おまけに店長が怖くない…!!約束の時間に1時間半も遅れてきたけど怖くない…!!

前バイトが嫌になった理由の1つが店長がすごく怖いがあったのですごく重要なポイントなんですよ。

というのも、前バイト先の店長は人として嫌いなレベルでして、同じ空間にいるだけで店長の負(怒りとか)のオーラに飲み込まれて気分が悪くなっていたんですよ。

だから店長が優しいのはとてもうれしいです。気にかけてくれてるし。

覚えることは多くてあたふたしていますが、今のところは大丈夫です。

むしろ友達と遊ぶお金ができたってことのほうが嬉しいです。

いっぱいこのお金で遊ぶぞー!!余裕できたら趣味のカメラにも少しお金を充てるぞー!!!!

 

 

ねむい。おやすみ。