明けてましたよろしくね。
前回の日記に「責任もって9年言わなかったんだからいいよね、2か月後に言うから」と書いたけど、やっぱり言えませんでした。
というか、そもそも会えなかったし。
なんだったらこの現実が見えてきて、気持ちも落ち着いてきたし。
今日はそんなお話。
本当は1月に相手の住んでるところに行って、一緒におでかけして、帰り際に思いを伝えようかなって計画してたのよ。
相手方に「〇〇のイベントに行きたいからその時会おう」って建前もつくってスケジュールも抑えて脳内趣味レーションもばっちり!!!
どう話を切り出そうかな~~~~~って思ってたら、いろいろな事情がかくかくしかじかでクリスマス入院&手術をすることになったんです。
しかも手術するのは膝。術後は2月末まで運動制限がかかり、しばらく松葉杖生活。(いまは松葉杖なくても歩行できるようになりました。)
術後すぐは足が全く動かせなかったこともあり、事情を相手に話して1月に会うことは断念することになりました。
残念だった。
会いたかったし、次いつ会えるかわからなかったし。
でも、考えが変わったのはその数日後のこと。
入院中に大学の課題も終わり、とにかく暇だったのでtwitterを眺めていた。
すると友達のあるツイに目が留まった。
「#先生垢さんと繋がりたい 確実に黒歴史になるタグだった」
「10歳以上歳の離れた教師が生徒に手を出すのは本人たちが楽しくてもまともな人とは思えない。先生に恋してる中高生には響かないだろうけど、いつだって周りの男子と違って年上の経験と余裕のある人は素敵に見えてしまう魔法があるもんね」
なんだかドキッとした。
そのまま私はその #先生垢さんと繋がりたい というタグをのぞいてみた。
確実に黒歴史生産タグだった。
見て引いてしまった。
「うわ…」って。
同時に気づいてしまった。
この女の子たちと私は同じなのだと。
現実を見れていなかったのは私だったのだ。
何が「我慢したから無責任に言わせて」だ。
この言葉を行った先に希望なんて1つもない。
相手の今の私に対する思いを考えて、思いを伝えると相手を傷つけてしまうことなんて明白なのに。
それにいまの私のあの人に対する思いは本当に「好き」なの?
『自分を大事にしてほしい』
『思いを伝えたら傷つけるかもしれないけど、あなたを大事に思う人がいると伝えることができる』
建前だったとしても、この考えは好きではなくて同情とか情けとか違う思いだ。
私の言葉で喜んで、明るくなる彼女の変化を見ることが好きになっているのではないか?
否定できない私がいる。
あと、もう1つそう思った理由があってね。
私の感覚的に、この1年で私自身が作り替えられたんです。
何度か書いたことのある大学で仲がいい3人との関わりの中で、根本的な考えがいくつか変わった。
1番の変化はついに死にたい呪縛から解放されたこと。
心の不安定さがなくなった。
いまの自分に満足して、あるもので満足できるようになった。
すると、自分を客観的にみられるようになる。
自分の思いは本当に好きなのか?
もしかしたらこれは私に優しい言葉をくれて不安定さを紛らわしてくれた人に依存していたのではないか?
そういえば、この間大学の仲いい子1人に「宮乃は受容してくれる人が好きになりそう」って言われてドキッとしたなあ。
あー。
『こんな私を受け入れて優しいことを言ってくれて・してくれるなんて、好きだ』という風になってたのかもしれないな…。
そう思ってたところに友達のツイートを見たら冷静になってきた。
この思いは恋だったんだろう。
ずっとあの人のこと考えるのは楽しかった。大変だった学生時代の支えになってくれた。
同性での恋愛を知らない頃に同性のことが好きだって思っちゃったくらいだし。
きっと相手を思いやることは双方向だったと思うから。
でも、思いは永遠に言わないことにした。
それに私も大きくなって思考が変わりつつある。
今のわたしではたとえ結ばれたとしてもあの人と歩みを共にできるビジョンが見えないんだ。
だから、この9年の思いには終止符を打とうと思う。
今までも友達だったけど、これからは本当に友達の関係。
変に口説き文句言おうだなんてしないから。ごめんね、変なこと付き合わせちゃって。
ごめんね、きっと私、あなたに出会ってから恋愛対象男女両方になったんだ。
いや、バイと自分では思ってるけど、実はまだ男性と仲良くなったことがないからもしかしたらビアンかもしんねえんだ。ははは。
とにかく、今までありがとう。
というわけで、個人的に第一章は完!!!!!って感じです!!!!おしまい!